自動運転車が創る未来

最近とみに世の中を賑わしているのが自動運転車。テスラやメルセデス・ベンツがレベル2ではあるが運転支援車を出し、日産もレベル2を出してきた。スバルはアイサイトを進化させ2017年にレベル2を、トヨタ・ホンダは2020年を目処にレベル2を出す予定。

これまで日本メーカーはスバルのアイサイトを筆頭に、オートクルーズや自動ブレーキといった自動運転にかかわる技術の開発を各社進めてきた。今後は政府の後押しもあって、開発はさらに加速し、近い将来レベル4の完全自動運転車が実現するだろう。

自動運転が目指す未来は、渋滞や事故のないクルマ社会。渋滞がないということは、ハイブリッドや電気自動車などの技術と相まって、さらに進んだ低炭素社会を実現できる。そして、世界で最も早く超高齢化社会が訪れる日本にとって、高齢者の移動手段としての自動運転車は将来的に主に郊外地域で必要に迫られるだろう。また、物流の自動車輸送率の高い日本から、世界的な自動運転車による物流改革が起こると予想している。

 

自動運転は安全を確保できるか

自動運転でもっとも求められるのは、安全性。事故を限りなくゼロに近づけることができれば、それだけでも自動運転化の意義は大きい。近い将来、コンピューターのAI学習機能がより進化して、人による運転よりも安全な自動運転を実現するかもしれない。ディープラーニングにより、ある一定レベルで人の運転技術を超えたコンピューターが大量生産され、さらにそれらの運転データをクラウドで共有、解析、フィードバックすることによって、よりバージョンアップさせることが可能となる(この前、囲碁の世界でもディープラーニングにより、人工知能がプロ棋士よりも強くなっていることが話題になったばかりだが、車はかなりの台数の「学習」を共有できるため、その学習効果は計り知れない…)

 

自動運転化で懸念されること

あってはならないことだが、突然の故障等のメーカーが想定しえぬケースが発生し、事故を完全にゼロにすることが難しいかもしれない。

万一のことを想定して、責任の所在がどうなるのか。法律等、さまざまな方面から検討が必要になってくるだろう。

また、現在、ジュネーブ道路交通条約や道路交通法では、運転者のコントロールから離れた、「完全自動運転車」は公道を走れないことになっている。こちらの方も法整備を進める必要があるだろう。

 

自動運転化によるメリット

とはいっても、自動運転車にはメリットが多い。ざっと思いつくだけでも以下のような点が考えられる。

渋滞が減る

自動運転車は、何も障害がなければ無駄な加速、減速を避け、一定速度で走ろうとするだろう。すると、渋滞が減るというメリットが生まれる。

高速を一定速度で走っているとよくわかるのだが、上り坂で必要以上に減速したり、逆に下り坂で加速しすぎてブレーキを踏んでいる車をよく見る。渋滞研究の専門家の話では、こういった必要以上の減速や加速が、後続車に伝わって、後ろのほうで渋滞が発生してしまうとのこと。すべての車が魚の群れのように一定速度で動いていると、渋滞は起こりにくいが、人の運転でそれをするのは至難の技である。自動運転車なら、前後の車が協調して魚の群れのように一定速度で動けるようになるだろう。

 

燃費が向上する

渋滞が減ると、単純に、燃費がよくなる。

また、通常の走行時でも、コンピューターが最適トルク、エンジン回転数を調節するので、人による運転よりも燃費が伸びやすい。

これは、現在の私の車(自動運転車ではないが)でも実感している。いま私が乗っている車は、スバルのフォレスターで、高速走行時はよくオートクルーズ(アイサイトver.3)を作動させているのだが、大概オートクルーズを解除している時よりも燃費が良くなるのを実感している。

たぶん私の運転が下手で、知らず知らずのうちに無駄な加速や減速をしていたり、加速が必要な時のアクセルの踏み込みによる回転数の上げ方が、エンジンやトランスミッションにとって常に最適ではないのも一因だろう。そういったトルクや回転数の最適化は、コンピューターにとってはお手のものだろう。

 

しかし、完全自動運転が実現されたら、車もガラリと変わるでしょうね。スマートフォンがパソコンやフィーチャーフォンの市場を縮小させたときのように…。(まあ、私は今でもフィーチャーフォン愛好者ですので、昔ながらの車も愛好しているかもしれませんが(笑))

 

事故が減る!?

運転車のうっかりミスなどによる事故を防ぎ、その結果、人が運転するよりも事故の確率が小さくなるかも知れない(理想は限りなく事故の確率をゼロに近づけることです)。もちろん、自動運転を過信することなく、万一の事故が起こったときに被害を最小限にするための対策(車内・社外エアバック等)は必要。

 

時間を有効に使える

運転そのものを楽しむことはできなくなるかも知れないが、運転から開放されることによって、車での移動時間を有効活用できるようになるだろう。

 

高齢化社会への対応

公共の交通機関が発達していない地域での、高齢者の移動手段が確保できる。私の住んでいる関西の某地方都市でも、駅から離れた地域は自動車が主な移動手段で、高齢者が自ら運転をしなければならないケースが多くなり、社会問題化しつつある。自動運転の実現により、高齢者の運転の負担を減らすことができるだろう。

 

 

運転席がなくなるかも!?

完全な自動運転が実現すると、ハンドルやシフトレバーがオプションになるかもしない。ちょうどMT(マニュアルトランスミッション)車をほとんど見かけなくなったように。そして、運転席というものがなくなるかもしれない。

 

そうすると、車に対する価値観も多様化してくると思う。なかでも、車に対する空間としての価値を求める声が、ますます高まってくると思う。ファミリーカーの車内空間は家のリビングのように、家族や友人がよりくつろげる空間、より楽しめる空間になっていくだろう。これまで、運転に集中していた運転者は運転から解放され、家族や友人との会話をより楽しめるようになるだろう。

 

日本の自動車メーカーの勢力図も変わるかも?

車メーカーの車に求められる価値が変わるため、従来の高付加価値の部分が従来の自動車メーカーが得意としていた所と別になるため、新しい自動車メーカーの台頭や、一部老舗メーカーの苦戦が予想されるだろう。

とはいうものの、自動運転になっても車の基本性能(走る、曲がる、止まるといった運動性能や、乗り心地や質感といった感性価値)は、自動車メーカーに一日の長があるので、電気化しようが、自動化しようが、感性価値に高いレベルが求められる高級車は、従来の自動車メーカーの得意とするところだと思う。

逆に、感性価値があまり求められない、たとえばボリュームゾーンの大衆車や、軽自動車のような近くの移動手段として使用するウエイトが高い車種などは、パソコンのようにモジュラー化され、思い切り値段の下がる領域かもしれない。樹脂によって軽量化した車体、モーターとバッテリー、コンピューターを組み合わせて、一定水準のクルマが従来の自動車メーカー以外でも作れるようになる可能性が高いからです。

また、日本人の車に対する価値観も、今から20年以上前とは大きく変化している。いわゆる、「若者の車離れ」が、さらに加速するかもしれない。このままいくと、日本人の多くは車に趣味性や高級感は求めず、割り切って単なる日常の足として使う人たちが増えていくだろう。同時に、車の所有形態も、単独所有から共有(シェア)が増えていくだろう。そうなってくると、従来の自動車メーカーは今までのビジネスモデルを変えていく必要に迫られるだろう。

規模の大きな自動車メーカーは、その規模の大きさを生かして、ボリュームゾーンの低価格車に対しては車体で儲けるのではなく、自動運転車のクラウドデータを解析、フィードバックして自動運転のレベルをさらにアップグレードさせるサービスや、車内空間への価値提供サービスで儲ける方向に舵を切るかもしれない。また、カーシェアの流れに対しては、自動運転化でタクシーやレンタカーとの境目がなくなってくることから、無人タクシーのサービスを立ち上げるかもしれませんね。スマホで呼ぶと、玄関にクルマがお迎えにやってくる。そういった新サービスを、車体調達力のある車メーカーが展開するのも面白そうです。あくまで私の勝手な想像ですが。

逆に、規模の小さな自動車メーカーは、高級車やスポーツカーに特化するのも一案。自動車には、単なる移動手段だけではない領域が残っているから。自ら操作する(運転する)という楽しみは、自動運転車ではかなえられない。高級車で通っているポルシェやフェラーリは、一定の層の需要がありそうです。レクサス、スバルやマツダあたりはこの変化をチャンスにして、よりいっそう趣味性の高い車造りを進めてもらいたいです。